月輪寺(曹洞宗)

〒747-0523 山口県山口市徳地上村572

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【御詠歌】

 

 

 

【開山・俊乗房重源】

 山口市徳地町は、山口県の中央部に位置する。平安時代に関白藤原兼実の知行地となり、直接の管理者である九条家の得分という意味から、「得地」すなわち「徳地」の地名が生まれたという。

 この地が歴史上に登場するのは、俊乗房重源上人が東大寺再建の用材を採取したことである。町域には、いまも重源に関わる多くの遺跡を残す。

 月輪寺もその一つである。「防長風土注進案」によると、開山は俊乗房重源上人、開基は藤原兼実公(月輪寺円照大禅定門)、伝法開山は竹翁璋琳大和尚とする。

 ことに薬師堂は、文治年間(1185~90)俊乗房重源上人がこの地に下向されたとき、時の太政大臣・藤原兼実の協力を得て、清涼寺(聖徳太子開創と伝う 山口市鹿野)にあった建物を移築し、鎌倉時代(1189年)再建した。唐様の厨子薬師如来が安置されている。薬師本堂と厨子は国指定重要文化財である。

 九条兼実公は、栄華を恣にした平重盛の屋形跡に山荘を構えて、月輪殿と称した。古記録によれば、「建久七年(1196)兼実関白職を辞してここに山荘を営む。是れを月輪殿と称す。その孫道家与える。建武のころまでは、殿舎なお在りせしが」と記す。月輪殿は地名に訓す。

 山口市徳地が発行する資料によると、重源上人は、字名を俊乗房、俗名を重定という。保安二年(1121)紀季重の子として京都に生まれた。治承四年(1180)平重衡の兵火により東大寺が焼失。再建の議が起こり、俊乗房重源上人が勧進職に任ぜられた。時に六十一歳の高齢であった。

 文治元年(1185)八月、鋳造した大仏の開眼供養が営まれた。翌二年三月、東大寺再建の造営料国に周防があてられ、俊乗房重源がその任についた。同四月、下向した俊乗房重源は、宋人の陳和卿、日本の大工物部為里など十余人をひきいて佐波川をさかのぼり、佐波郡の奥地(山口市徳地)の杣山から一本の長さ三十メートル、直径一.五メートル以上の巨木を苦労の末に数多く伐り出し、佐波川から海路を通って東大寺に運び、東大寺の再建を立派に果たした。建永元年(1206)東大寺で没す。寿年八十六歳。この事業により、徳地は飛躍的な発展を遂げた。

 

【道順】

電車・バスの場合=JR山陽新幹線、山陽本線・徳山駅から島地・堀行きのバスで、「薬師前」下車、徒歩七分。またはJR山陽本線・防府駅から掘・八坂行きのバスに乗り、堀で徳山行きのバスに乗り換え「薬師前」下車、徒歩七分。タクシーの場合、徳山駅から約二十五分、防府駅から約三十五分。

車の場合=①中国自動車道・徳地ICを出て掘方面へ一キロ、左折して国道三七六号線に入り徳山方面へ八.三キロ、島地川横、まっすぐな道の中ほど、月輪寺薬師堂入口の標識に従って左へ曲り、直進して五〇〇メートル。

②山陽自動車道・徳山西ICを下りて国道二号線を徳山方面に二.七キロ、夜市から左折して徳地方面へ七.三キロで国道三七六号線に突き当たるので、その所を左折一.二キロ、標識に従って右折し五〇〇メートル。薬師堂石段下に普通車二〇台、大型バス三台駐車可。県道横にも駐車場あり。 


中国四十九薬師霊場会事務局

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