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【御詠歌】
なむやくし しょびょうなかれと ねがいつつ
まいる人々 こうたくのてら
やくしぶつ ねがえ人々 みのやまい
ころのやまい いえざるはなし
あなうれし しくのやみじも きょうこえて
るりこうでんに すめる月かげ
【大内盛見創建の泉香寺】
広沢寺の前身は泉香寺である。その泉香寺を創建したのが、大内氏二十四世・大内弘世の子、二十六世・大内盛見であった。応永年間のことである。開山は仏悟恵光禅師(応永九年・1402年示寂)で、当初は臨済宗であった。後に昌岩春盛和尚(慶長十二年・1607示寂)を迎えて曹洞宗に改宗された。その後、幾星霜を経て廃寺となったが、明治五年五月、古熊村にあった万年山広沢寺が引き移った。
広沢寺は盛見公の子・教幸(広沢寺殿南栄道頓大禅定門)が豊前国馬岳において敗死したので、その菩提寺として山口の古熊村に建立され、広沢寺と号した。開山は雪心真昭禅師(応仁二年、1468年示寂)である。その後、大内輝弘の乱において、諸堂ことごとく消失するが、山中にあった観音堂が残った。この聖観音像は教幸公の守り本尊といわれ、二十年に一度開帳されたものである。
広沢寺にある仏像は泉香寺伝来のものであるが、その昔東光寺(在所不明)にあったものを、泉香寺が継承したといわれている。
本堂は六間半四方の御堂造り。本尊は薬師如来座像で、高さ百四十五センチ、檜材、寄木造り、左手は膝上に安じて薬壺を持つ。脇侍は四天王のうちの増長天と持国天である。両像とも百三十五センチ、檜材、一木造り、当初は彩色を施してあったが、今は落剥して素地の感がある。両像で阿形・吽形の対となっている。三像ともに昭和四十一年に山口県指定有形文化財となっている。藤原時代(八百年前)の作と推定され、仏師は一説に行基菩薩とするが定かではない。
【道順】
公共交通機関=JR山陽本線・新山口駅下車後、タクシー等で15分。JR山口線・矢原駅下車後、徒歩2キロ
車利用=中国自動車道・湯田スマートICを出て5分程度。中国自動車道・小郡ICを出て15分程度。山陽自動車道・防府東ICを出て30分程度。門前に駐車場あり、普通車10台、バスも可。
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