普光寺(天台宗)

〒709-3707 岡山県久米郡美咲町打穴西1604

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【御詠歌】

 

 

 

【行基菩薩の刻んだ観音菩薩】

 戦国時代に群雄が割拠するなかで、岡山地方を支配したのが宇喜多直家である。直家は備前国の守護代・浦上氏の家臣であったが、次第に勢力を蓄えて、天正五年(1577)主家を天神山城に破り、名実ともに備前の大守となった。

 普光寺は、天神山城の麓に位置する。

 その昔、この戦が災いして、古記録などを焼失して、縁起その他は不明。

『中央町の文化財・神社仏閣篇』には当山の歴史はかなり古いようであるが、中世の火災で旧記などを焼失して、由緒などは詳かでない。文献などによると、霊亀元年(715)開創したと伝う。

当時、聖武天皇の勅を奉じて、諸国を行脚していた行基菩薩が、一夜を池の内字谷にある大樹の下に仮泊した。このとき欅の古木に白雲が覆い、一条の光明が放つを見た。行基菩薩は大いに歓喜し、これは我が有縁の地であると悟り、彼の古木をもって観世音菩薩像を刻み、一寺を建立して白雲山普光寺と号したのが創まりという。

 往古はいまより北西に三百メートルほど離れた台地にあった。 近くに大池があり、水害に遭うこ とが多かったので、およ そ三百年前、現地に移転して池は埋めたと伝う。

 その後も紆余曲折はあったが、近時に本堂を改築、鐘楼を復興、客殿と庫裏を修復、書院を新築するなど、目覚ましい発展をとげた。

 

【祈りの道場】

 緩舒な丘に棟門を構え、白亜の築地塀が緑に映える。本堂は宝形造り、本尊に千手観音を安置、脇侍に不動明王と毘沙門天をまつる。

 千手観音の正しい名称は、千手千眼観自在菩薩である。経説に「若しも我れが、一切衆生を利益し、安楽ならしむるに堪ゆるとすれば、我が身に千手千眼を悉く具足せしめ給へ」と誓願すると、即座に観世音の身に備わったという。

 像容は、四十二臂を数える。一手が能く二十五有界の衆生を救う。すなわち中央の二臂を除き、四十手に二十五有界を乗じると千手になり、一手ごとに一眼を有すと説く。

 普光寺では、日を限って観音法と不動法により護摩供を厳修して、地域の老若男女に慈しみと除災招福のいのりを施している。

和歌集『梁塵秘抄』に、次のような歌がある。

  普き門のうれしさは 数える人だになけれども

  観音大悲に導かれ  入らぬ者こそなかりけり

 この歌は、衆生が観音菩薩に導かれて、普門に入ることを詠んだ。すなわち普光寺も、観音菩薩の慈光があまねく満ちた道場である。

 その一方で、こんな歌もある。

 薬師の十二の大願は  衆病悉除ぞたのもしき

 一経其耳はさておきつ 皆令満足すぐれたり

 薬師如来が菩薩であったとき、十二大願を立てた。その中で、第七の「除病安楽」の願が、最も人々に重要視された。それを詠む歌である。

この左奥に、中部第四十番霊場の御堂がある。寺宝に金胎両界曼荼羅一双を所蔵する。


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