日光寺(高野山真言宗)

〒714-0034 岡山県笠岡市神島外浦2772-3

電 話/0865-67-2030

FAX/0865-67-2030

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【御詠歌】

月と日の 名におふ山に さく梅の

花の色香は 久しかるらん  

 

【伝教大師作の薬師如来】

 笠岡港の南に位置する。浮き島は北側を内浦、南側を外浦という。昭和四十五年に神島大橋が開通して陸続きとなった。

 日光寺は 『全国寺院名鑑』に、創建年代は不詳、天文三年(1534)慶覚の中興と伝う。備後福山藩主・水野氏の祈願所。寛政元年(1789)代官の菅谷弥五郎が当寺に止宿。稲積山を鎮守金比羅宮に属した。僧月照、清国胡鉄梅などが来遊した。境内の外浦公園は梅林の名勝地として有名である。

  一方、『岡山県地名辞典』には、

本尊薬師如来は、伝教大師作と伝える。開基は不詳、境内に文永十一年(1274)在銘の石仏があって、鎌倉時代には、すでにその存在を知ることができる。

  中興は天文三年(1534) 八月、慶覚法印である。俗に「梅寺」と呼ばれて古梅林を残す。梅に関する名士の詩歌数千首の短冊を保存。寺 宝 には地蔵十王画像一幅(国指定重要文化財)、福山城主水野家から拝領の茶器、鎌倉時代の観音像、寂厳の書などがある。神島霊場三十一番。

これを基に、少し敷衍してみよう。

 伝教大師といえば、延暦二十四年(805)唐より帰朝して天台法華宗を伝えた 。弘法大師は大同元年(806)帰国して真言密教を伝えた。

 比叡山の本尊は薬師如来。高野山は大日如来をまつる。こうした関係から推して、日光寺の像を伝教大師作とするのも頷けるだろう。

 伝教大師の詠む歌に、

  末の世の 祈りもとむるそのことの

  しるしなきこそ しるしなりけり

とある。

 梅の花は、清楚で気品があり、早春、百花にさきがけて咲く。臥龍梅・青龍梅・飛梅などがもっぱらで、名所といえば、月ヶ瀬・熱海・水戸偕楽園などが有名である。

 日光寺が所蔵する詩歌とは別にして、俳人の詠む句に、

  春もやや 景色ととのふ月と梅  芭蕉

  紅梅や 比良の高ねに雨の雲   蕪村

 僧月照は、天保六年(1813)大阪に生まれた。文政十年(1827)清水寺成就院(京都)の往時で、叔父の蔵海師について得度した。

 安政元年(1855)法弟の信海に成就院を譲り、勤皇の志士と交わって活躍するが、同五年に薩摩湾で入水した。享年四十六。ときに弟子の忍慶に、「僧徒国事に奔走する職分に非る者の如しと雖も、国の為に難に赴く、是れ真に仏意に合する者」と語っている。

 

【神島八十八ヵ所】

 延享元年(1744)笠岡在住の商人・今田宇兵衛重清が、夭逝した愛児の菩提を弔うため四国霊場を巡拝中、弘法大師の霊夢により、開いたと伝えられるのが、神島八十八ヵ所である。

 これに神島の住人・池田重兵衛が協力して敷地提供、道路の新設などに便宜を図ったが、他にも多くの援助者があった。全行程二十九キロ、四国霊場を模して山頂、海兵に堂舎を建立して石像を安置した。およそ五年の歳月を要したという。

 神島三十一番は、四国の五台山竹林寺がそうである。俗に「五台山文殊」という。境内に本堂・鎮守堂・客殿・庫裏・山門などがある。


中国四十九薬師霊場会事務局

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