佛教寺(高野山真言宗)

〒709-3622 岡山県久米郡久米南町仏教寺84

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【御詠歌】

 医の山 瑠璃の光を 放ちつつ

朝な夕なに 衆生を助け  

 

【元明天皇の勅願道場】

 岡山市と津山を結ぶ主要街道に沿った弓削は、宿駅として発展した。農産業の盛んなところでもあるが、この近くの山間に仏教寺がある。

 寺伝によると、和銅三年(710)喜恵上人が開山、肩野部長者乙麻呂が創建した。元明天皇の勅願道場にして、東西八十町、南北百町の寺域を場ったという。

 元慶三年(879) 二十二世・文観上人の時代に、陽成天皇が四十九院を建立。近隣に比類なき伽藍美を誇ったが、天正九年(1581)兵火に罹れて悉く烏有に帰した。

 その後、再建したが四十九院はかなわす、わずかに六院を構えた。慶長九年(1604)津山藩主森忠政が寺領を寄進、堂塔を再建するに及んだが、元禄十年(1697)森家が断絶となり、経営の基を失って困難を極めた。

 明治初年までは 六院あったが、本院を残して合併を余儀なくして、同十九年(1887)本堂や仁王門はとり壊された。のち竹林寺の文殊堂を移して本堂とした。

 現在の堂舎は、弘法大師一千百五十年御遠忌を記念して、昭和四十九年より十年間、境内の整備営繕が行われた。

 所蔵する『竹林寺縁起』 (永享七年=1435、別当沙門良春、筆者宥然) に、「当国一宮仲山大明神御社敷の本主肩野部長者・喜恵上人に帰依し奉り、上人の寺を建立せんとして三百町の別所を開き、元慶三年己亥の年四十九院を建立、夢想によって佛教寺と号す」とある。

 佛教寺には、肩野部長者をまつる祠や経塚がある。経塚は土仏塚とも呼ばれて、梵字を刻む土仏の他に土器なども出土する。

 一方、津山藩は、忠政のあと娘婿の甥で開成次の子・長継が二代藩主についた。寛永十三年(1636)美作は日照り続きで被害を被った。

 そこで長継は、佛教寺の竜王祠に郡奉行・大庄屋・村役人を集めて雨乞いを行った。霊験はその日のうちに顕れた。喜んだ長継は自ら願主となり、翌年に三重塔を復興、正保二年(1645)本堂を再建して佛教寺の再興に尽くした。

 

【本尊・薬師如来】

 本堂は宝形造り、本尊に薬師如来を安置、脇仏に不動明王と毘沙門天をまつる。往時の建物は天保九年(1838)天災により焼失。再建に着手するが、寛政には至らず、明治十九年(1886)文殊堂を移建して現本堂とした。

 段丘の文殊堂は、元慶五年(881)文観上人が創建。寛永十五年(1638)津山藩主・森長継が現堂宇を再建した。普賢菩薩を合祀、智慧の文殊として篤い信仰がある。

 階下にある山門は、礎石から見て平安時代と考えられるが、説に正徳五年(1715)再建、営繕を加えたのち、昭和五十五年に銅板葺きにあらためた。

 籠居の木造金剛力士二体は、檜材、一本彫り、一部に彩色が見られる。県庁元年(1249)銘がある。平成五年から三年間をかけて修復された。県指定文化財である。

 鐘楼は明治期の再建、袴腰を付ける。

 聖域の外に、本坊客殿がある。近年に宗祖の御遠忌を記念して営繕を行った。内仏に十一面観音菩薩を安置、脇に不動明王と弘法大師像を合祀。弘法大師は、「依心依処」により信仰は興ると説く。

 高野山がそうであるように、佛教寺もまた険しい風土の中に伽藍を構える。これ偏に、依心依処のたまものであろう。


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