久昌寺(臨済宗妙心寺派)

〒706-0132 岡山県玉野市用吉415

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【御詠歌】

 瑠璃の色 光り久しく まさやかに

世の常照らす もちよしの寺  

 

【三好長慶の菩提】

 玉野市は、児島半島の南東部に位置する。明治末期に旧国鉄宇野線が開設され、四国連絡の門戸が開けて大きく発展した。戦国時代は児島富士の異名を持つ常山に、三村隆徳が城を構えていたが、天正三年(1575)小早川隆景に攻め込まれたとき、雄々しく戦った女軍の碑が哀れを誘う。

 この常山の東麓に久昌寺がある。

『全国寺院名鑑』には、本尊は釈迦牟尼仏。秘仏は薬師如来。児島常山城主・上月肥前守(三村隆徳)が、三好長慶の菩提を弔うため香華寺を建立。寺号は長慶の法名「久昌院殿英出宗傑大禅定門」にちなむ。

 開山は月伝禅師、隆徳は創建に際して事物の薬師如来を安置。田二反を灯明料として寄進した。中興開山は隣月禅師とする。

 ところで室町時代に、この地方の守護職であった讃岐の細川氏が、児島に代官所を設けて、代々家臣の飯尾氏が任ぜられていた。当時の細川之勝は、法名を「久昌院殿心岩道仙」と諱する。 そこで飯尾氏は、これをもって寺号とし、代官所のあった豊岡の地名を山号にしたのではないか、という説もある。この説を裏付けるのが、寺に残存する鬼瓦である。この瓦は上野高徳の時代をはるかにさかのぼる古いものであり、当時すでに寺があったことを物語っている。

 思うに、往古の久昌寺は宗派未詳であるが、常山城主が禅宗寺院として再興したのではなかろうか。

 隣寺に残る文化五年(1808)の書付けには、「当時草創来歴知不申」とある。創建は不詳というわけである。備前藩主・池田光政の宗教政策によって記録が消失されたといい伝える。

 

 

【伝恵心作の薬師如来】

 寺伝に恵心僧都源信作とする。この像は常山城主三村隆徳の念持仏であったと伝えられているが、近年に善意の徒が彩色を加えたのが惜しまれる。郷土史家の一説に室町時代末期の地方作という。寺宝に、涅槃図(推定室町中期作)、達磨図(白隠禅師書)、楊柳観音図(遂翁書)などを所蔵している。

 平地の境内は、松の緑が映える。

 正面には鐘楼門を構える。この門は、安政初年(1855)に建立した。逸話に、当時の璞道和尚が池田家の葬儀で導師をつとめたのが機縁となって、建築を許されたという。

 梵鐘は文政十三年(1830)鋳造。銘に住職寰渓、施主頭に、用吉の相賀小七郎、木目の橋本辰之介、宇藤木の今村弥兵衛などの名を刻む。

 この鐘は、元治元年(1864)、「御国恩のため差上候」として備前藩に献納された。日清戦争戦勝記念として鋳造された鐘が、先の大戦遂行のため供出され、現在の釣鐘は昭和二十七年鋳造、日米講和条約調印の日が撞き初めであった。

 門の側に銅製の新しい五重塔が建つ。釈迦塔と命名してある。インドの釈迦聖地を巡拝した折、その霊石をもって帰り奉安する。篤い仏心の結晶である。

 現本堂は、六間に八間の入母屋造り、瓦葺き、昭和七年に再建した。大棟に見事な鴟尾を飾る。

  鴟尾聳ゆ 久昌禅寺 雲の峰

と刻む句碑が前庭にある。

 薬師堂には、座高九十センチほどの薬師如来坐像をまつる。


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