長福寺(臨済宗東福寺派)

〒697-1331 島根県浜田市内村町805

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【御詠歌】

 山高み 仰げば空に 紫の

雲をわけてや 月も出らん

 

【国家安泰の道場】

 浜田の地名は古く、寛仁四年(1020)中納言藤原常方が、潮の干潮を調べて浜を開田したことに始まる。

 内村は市街の南部、髻谷川が周布川に合流する辺りに位置する。この肥沃な台地に長福寺がある。『浜田市誌』には、

  弘安年中(1278~1288)国家安泰の道場として、周布城主・兼正が建立して護国院と号した。当初は天台宗であったが、室町時代、周布氏の分家・内兼豊が、大通和尚を請うて臨済宗に改めた。

 慶長年間(1596~1615)寺領十石、寺宝は延宝年間(1637~1681)住持玄白和尚の代に、京都の岐阜屋嘉衛門が奉納した。

 庫裏の鉄砂瓦は、鍋石世並屋江尾家に用いられていたもので、大麻山尊勝寺の銅瓦が廃れて以来、人々の目を引いている。庭園は遠く内田の山々を借景に取り入れて、風趣はまことに豊かである。

 周布城主・二代兼正は、正応元年(1288)没した。延元元年(1336)三隅氏の閥閲録には、「周布郷内・内村」とあり、この辺りは周布氏の庶子・内兼茂が支配していた。

 地名の由来は、『八重葎』に「内村と号する所以は、このところ迄は、久光之庄の内なりという心にて名とせり」とある。

 元和五年(1619)古田重治が浜田の領主となって以来、漁港は五万石の城下町となり、現在の基礎を築いた。

 大通源秀和尚は、応永三年(1396)十一月十三日寂す。寿年は不明。護国院と称したことなどから察して、当時は安国寺の意味合いがあったのではないか、夢想国師の法灯が偲ばれる。

 

【三国伝来の仏舎利】

 寺宝は、説に三国伝来の仏舎利と一切経を所蔵する。ことに仏舎利は、十七年目ごとの四月中旬に限って、三日間ご開帳が行われる。

 境内は、堅牢な山門を構える。

 本堂に薬師如来を安置。鐘楼なども江戸時代の建築である。

 寺内では、社会福祉法人立の「美川保育園」を運営して、地域の教育に賭ける情熱は頗る篤い。ある碩学が教育と宗教の関係を、次のように語っている。

 仏教とは教育である。教育とは真理の探求であり、心理の究極は、人類は同体で、平和、健康、豊かさを招く。近代日本が、教育に仏教を入れないのは、西洋諸国に、大乗仏教がないのを模倣したためである。

 遠くに望む大麻山は、浜田市と三隅町の境に位置する。標高六百メートル余りで、平安時代は山岳信仰の道場であった。尊勝寺は一山の象徴、坊舎の連なる態を称して、「西高野山」と異名したという。

 また、周布川岸には周布円墳がある。出土した須恵器・鏡・馬具などから推して、説に古墳時代後期の築造とする。昭和十一年に国指定史跡となる。

 昭和十一年といえば、春に宰相・広田弘毅が上京して学んだ「浩々居」を再建。万年筆が流行したのもこのころである。

 ときに宰相が読む川柳に、

  風車 風が吹くまで昼寝かな

 こんな心境で、時節が来るのを待つとするか。

薬師如来は、現世の仏さまである。


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