日光寺(金峯山修験本宗)

〒728-0014 広島県三次市十日市南三丁目12-6

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【御詠歌】

 掘出しの 薬師如来と まつるなら

重き眼病 なほるうれしさ

 

【日光寺旧跡の復興】

広島県の北東部に位置する。市域には中国山脈の山々が分布し、馬洗川・西域川などを合流して江の川となり、堆積平野が肥妖な三次盆地を形成している。

 その昔、出雲地方と吉備地方を結ぶ交通の要衝にあった。開発の歴史もすこぶる古く、七ッ塚古墳をはじめ多くの遺跡が各所に散在する。

「日光寺住居跡」もその一つで、成光の大池があ る丘陵に、古墳時代後期の住居跡を残す。県指定史跡であるが、付近一帯は日光寺中央公園となり、四季打々の草化が咲く格好の散策コースになっている。

 この丘に、 日光寺の境内がある。往古は、この地に日光寺という精舎があった。

 創建や廃寺の歴史は定かでないが、日光寺の号から察して、薬師如来を本尊とする寺院があったことは、 確かなようである。

 その跡を復興した のが、中原観法師である。ときに観法師は、修験者として大峯山に入峰、苦修練行して修験の要諦を悟り、「三世救済」の道に身を投じて、 旧跡の復興を志した。しかしながら、その道程は平坦ではなく、とき には今道心という疎ましい運命に翻弄されたこ と もあったが、そうした苦境を乗り越えて、ようやく陽の目を見たのが昭和初期であった。

 二世は観英師である。幼くして仏門に帰依した観英師は、 四国霊場の石中寺で修行、天台寺門宗の秘法を修め、さらに天台宗叡山学院、 金峯山修験本宗で、修学・修行して帰山すると、師父観法の法を継いで

寺門の興隆に尽くした。

 金峯山修験本宗の教えは、 神変大菩薩(役行者小角)の修験道開創の教範に則り、顕密二教を 包含して、真俗不二・ 無相三密の妙旨を体得、苦修練行をもって、上求菩提・下化衆生の大道を実践することにある。

 現住職は、宗門の発展に寄与する一方で、三世救済に余念がない。 この思想が役行者小角の精神であり、 金剛蔵王大権現の内証でもある。

 

【一寸の金剛仏】

 童話に、一寸法師は椀の船に乗って鬼退治にでかけるが、日光寺の薬師仏は、十二大願の船で々を救う。

『梁塵秘抄』 には、

薬師医王の浄土をば 瑠璃の浄土と名づけたり

十二の船を重ね得て われら衆生を渡いたまへら衆生を渡いたまへ

とある。 

 日光寺は本尊に不動明王をまつる。脇侍は蔵王権現と役行者小角を合祀するが、往古は薬師如来であった。

 創建のはじめに、薬師如来座像を勧請したのが脇壇に坐す。座高約三十センチ、檜材の一木造りであるが、これとは別に一寸の黄金仏がある。この像は、往古に村上水軍が念持仏に していたとか、竹原小早川家 にゆかり の大家が護持していたのを、 

縁あって当寺に迎えることができた。

 浅草寺が一寸八分の観音像を 、二層の大伽藍に安置するのは、威光倍増の現れである。 日光寺はわずかに一寸の像であるが、そ の ご威光は黄金の ように、病める人たちを救うであろう。

現在、奥之院には、頂上不動尊・金剛蔵王大権現・一本木不動明王堂・導三社稲荷堂・脳天大神星などがある。


中国四十九薬師霊場会事務局  

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