西國寺(真言宗醍醐派)

〒722-0044 広島県尾道市西久保町29-27

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【御詠歌】

 にしおもう こころのほかに みほとけの

くにをたつねて いつちいくらむ

 

【西国随一の伽藍】

 尾道では、 千光寺山、 西国寺山、浄土寺山を称して三山という。地名はこの三山と尾道水道に挟まれた道、つまり「山の尾の道」から転じたともいわれている。

 開闢の歴史は古く、聖徳太子が伊予の道後温泉に向かわれる途中、尾道の浦仮泊されたという伝承もある。昔はこの 「山の尾の道」に、八十余りの寺院が甍を競っていた。

 ことに西國寺は寺号が示すように、 西国随一の伽藍美を誇り、仁王門に掲げた大草履が観光尾道の象徴にもなっている。寺伝によると、天平年間 (七二九~五四九)行基菩薩が諸国行脚の途次、当地にとどまり、薬師如来を刻んで安置したのが創まりと伝う。

 永保年間(一〇八一~八四)白河天皇の詔を奉り、性信法親王の法子・慶鑁上人が 再興して勅願寺となる。

 正和元年(一三一二)花園天皇より尾道浦の知行をたまわり、西国随一の伽藍を構えて、 現寺号に改称したという。

 その後、再度の祝融に罹れたが、永享年間(一四二九~四一)足利義教の外護を得て僧宥尊が復興した。現存する三重塔は宥尊の造営である。

 福島正則の代に寺領を没収されて、衰退の一途をたどったが、福島氏の治政は長く続かず、芸・備藩は分治して、福山藩主に水野勝成が入封して以来、藩主の庇護を蒙り、尾道商人の協力と相まって寺運を回復した。現金堂は鎌倉時代の遺構を残す建造物である。

 

【行基菩薩の見た霊夢】

 金堂(本堂)の本尊に、木造の薬師如来座像をまつる。平安前期の作。いまは秘仏、説に弘法大師作とし、縁起にいう行基菩薩の彫った像を胎内仏にするが、こんな逸話がある。

 堵国を行脚する行基菩薩が、尾道で長雨に足止めされた。ある夜、冠を着け、小枝を杖にした老翁が夢枕に現れて「北にある雷現山に霊木がある。仏像を彫り、堂宇を建てよ、仏教は栄えるであろう」と告げた。翌日、里人を伴って登ると、祠の前に小枝が置いてあった。そこで行基菩薩は、老翁のいう霊木を得て仏像を謹刻したという。

 また釈迦如来立像は鎌倉時代前期と推定され、伝安阿弥の作とする。

 この他に、中国宋代の錫杖、弘法大師が請来したと伝う銅製と金製の五鈷鈴二ロ。以上、国指定重要文化財である。

 観光尾道の象徴でもある仁王門は、県下では数少ない楼門形式で、説に室町末期の建立という。県指定重要文化財である。

 近世の尾道に四聖人がいる。住吉浜の基礎を築いた平山角左衛門、千光寺公園を拓いた三木半左衛門、画家の小林和作、尾道の治水事業に貢献のあった山口玄洞氏である。いずれも名誉市民の称号を贈られたが、このうち小林和作と山口玄洞氏が西国寺墓所に眠る。


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