薬師寺(高野山真言宗)

〒722-2432 広島県尾道市因島原町878

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【御詠歌】

 ぬかずけば こころ安らぐ 原の寺

瑠璃の光は 人のともしび

 

【島内屈指の古刹】

 芸予諸島は、 船便に頼るしかなかった航路も、尾道と今治を結ぶ高速道路・島なみ海道の開通で、遅い春が訪れたといってよいだろう。なかでも 因島は、一島一市の施政を敷く大きな島である。これに生口島の一部を編入するので、生ロ島は西部が瀬戸田町、東部が因島市となり、この境界に位置するのが桃立山である。薬師寺は生ロ島の南、原地区に伽藍を構えた島内屈指の古刹である。

『因島市史』 は、 次のような縁起を記す。

  真言宗仁和寺末。本尊は薬師如来、 はじめ医王山医光寺と号し、 正保年中(一六四四—四ハ)法印快遍が創建。寛政年中

 (一七八九~一八〇一)覚中が再建した。『正徳調書』 によれば、本尊の毘沙門天は運慶作といい、薬師堂一 宇、薬師如来は行基菩薩作とすることから、当時は経堂であったのが、のち火災に遭って焼失したので、薬師如来に換えたものらしい。

 七重塔婆(市重要文化財)がある。その他に大師堂が三カ所・辻堂・弁財天島に弁天窟・穴地蔵堂・地蔵堂などが散在する。

 正徳調書は、正徳年中 (一七一一~一六) に作成した調べ書きであるが、所蔵する文化財を見ても、正保年中の創建は頷けない。

 寺伝によると僧快遍は、天文十年(一五四一)三月九日没とある。『正徳調書』にいう正保年中とは、年代において百余年の隔たりがある。

 つぎに本尊を毘沙門天として、医王山医光寺というのは解せない。医王または医光は、明らかに薬師如来を本尊とした称号である。仏像からいえば、仏師運慶は鎌倉時代に活躍した彫刻家である。説に貞応二年(一二二三)没。薬師如来像はさらに溯り、行基菩薩は奈良時代の高僧である。

 結論からいうと、平安末期か鎌倉時代の創建ではなかろうか。むろん推察の域を出ないが、正保年中は、再建あるいは再中興であろう。

 

【諸堂と文化財】

 山門と白亜塀で囲む境内は、七間四間の本堂が鎮まる。造りは折衷様、寛政八年(一七九六)に再建、平成四年に屋根を葺替えた。鬼瓦に「文化五年四月吉日」の銘がある。

 この他に、宝形造りの護摩堂と金比羅宮が鎮まる。また飛地境内に大師堂がある。そこに聳える樹齢六百年の大楠は、因島市天然記念物祈念。

 本尊の薬師如来は秘仏、五十年に一度の開帳仏である。平成七年四月八日、修復落慶を兼ねてご本尊開扉記念法要を修す。資料によると、像容は蓮台を含めて二尺九寸(約九十五センチ) の坐像。三百年ほど前に修理を施したのが禍して、指定にはならないが、本来は国宝級の資格を有すという。

 山門を入った直ぐに、七層石塔婆がある。高さ三・三メートルの塔婆は、興国二年(一三四一) 南朝方に与して活躍した生ロ島兵士の霊を弔った供養塔で、塔身に金剛界四仏の種子を刻む。

 境内に五基の板碑がある。殿川・五郎畝・畑岡にあったのを昭和六十三年に合祀した。板碑には本地仏・忌日・十王が刻まれており、本来は殿川地区を中心に、十基あったことが窺える。先の塔 婆と併せて、因島市指定重要文化財である。


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