大樹寺(曹洞宗)

〒680-0307 鳥取県八頭郡八頭町福地408

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【御詠歌】

 白磯の 峰の松風 法の声

佛の教 長き寺坂

み佛の 賜びし縁を 尊とみて

階段のぼる 因幡峰寺

 

 鳥取市の南部、JR因美線と若桜線が交差する郡家町は、八頭郡政の中心地であった。

 大樹寺は、『全国寺院名鑑』に、

―旧記録を焼失して創建年代は不詳、往時は隣村、市場集落の山上にあって、城主安藤義光の菩提所であった。天正年間(一五七三~九二)兵火にかかり、明暦年中 (一六五五~五八) 現在地に再興。曹洞宗に改めて鹿野町の譲伝寺末となる。宝暦年中 (一七五一~六四) またも火災に遭うが、八世真龍が復興して今日に至る。

 大樹とは、将軍または為政者の雅称。中国は後漢の将軍・馮異が、諸将の功を論ずるとき、席を退いて大樹の下に座ったという故事によるが、大樹寺の縁起に、城主の菩提寺というのも頷ける。

 豊臣秀吉が⿃取城を攻略したのは、ときに天正八年 (一五八〇) である。このとき秀吉は、若桜城を陥して守りの要とした。大樹寺が焼失したのも、恐らくこの時期であろう。

 譲伝寺は、鹿野町今市にある。応安四年 (一三七二) 笑巌和尚が開山。鹿野城主・亀井茲矩公の庇護をこうむり熾盛した 。

 薬師如来は須弥壇の左上に、籠居を設けて安置してある。像容は座⾼六十センチ、密教学の権威・故佐和隆研氏が、温和と威厳を兼ね備えた逸品であると称賛された。

 因幡薬師霊場記に、およそこう記す。

 もと福地地内岡田に、天正年間 (一五七三~九二)豊臣秀吉勢の攻略により、滅ばされた市場城主・毛利豊元の墓所として、創建された宝篋印塔一基がある。

 その鎮護のため、塔前の一段低きところに堂宇を建立して、この薬師如来を勧請したと伝えられている。年代は詳らかでないが、病気平癒の霊験あらたかとして、近郷近在の信仰を集めていた。

 白壁の築地塀を巡らした境内は、その磴に老椿が繁る。学名をウクラ・ツバキという。説明によると、京都では有楽、関東では太郎冠者と称する品種で、日本在来の椿とは異なり、中国産のサルウインツバキの精をひくといわれて、種名もカメリアウクラと別種に取り扱われている。

 樹齢約四百年。十一月末から四月上旬まで、優雅な花が咲く。説に日本一の銘木は町指定天然記念物。この樹下に、小振りながら整った宝篋印塔一基ある。県下では最古級で町指定文化財。堂内にある羅漢も必見に値する。


中国四十九薬師霊場会事務局

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